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   V 私たちが為すべきことについて  
     
   7. マックスウェル・ボルツマン分布の活用  
   さて、私は「MB分布」に現れる「全体」の「ルール」である「最も平均的な「現象」が最も数多く起こり、平均からずれるようなことは、平均からずれればずれるほどその数は少なくなり、平均から遠く離れたような「現象」も、数は少ないが起こらないわけではない。」というのを「幸福」の「基準」として提唱したいと思う。これは「個人の幸福」の「基準」ではないが、「全体」としては、十分に基準になり得るものだ。私たちが関与できない「自然」の「現象」については、ほとんどの「現象」が「MB分布」のようになると思う。そうなるのは、「自然」の「ルール」が「法則性」を有しているためだが、私たち人間世界の「ルール」も「法則性」を持てるようになると、「MB分布」のようになるのだと考える。
 一つだけ、歪んだ「MB分布」をご紹介しよう。 アメリカに住む人の所得を、グラフにすると右のようになる。そして私たちの国でもこのようになりつつある。ご覧のように平均所得(中央の縦軸)のところに山の頂点が来ないで、山の頂点は左の方に大きくずれている。所得の平均よりも低い方に中央値があって、低い所得の人が多くいることを表しているのである。原因は分かっている。もう既にお話ししてある「群れる動物にある習性」が原因だ。人間の世界の「ルール」の多くは歪んだルールなのだが、私たちには、ルールの歪みを正当化する「習性」が備わっているから、「ルール」の歪みに気づく人さえ少ない。そして、誰もが歪んだ「ルール」を人に押し付けることができるようになるために、できるだけ大きな「力」を獲得することだけを考えて生きているのである。また、世界にいる人全ての所得をグラフにしたら、山の頂点はもっと左に寄るかも知れない。GNP世界第3位の私たちは、グラフの右の端の方にいて、多大な「経済力」で、少なからず他国に対して「歪んだルール」を押し付けることで、「力」を維持しているのである。先進国にいる人を「安い労働力」として働かせているのは立派な「理性」違反だが、誰もが「不正」を働いても「力」を獲得することを優先すべきことを正当化しているので、誰も文句は言わないのである。よしんば、言っても絶対に何の効果もないのはわかりきったことだ。ただ、何かを維持するのに「ルール」の継続は絶対に欠かせないが、誤ったルールで維持されるものなど、この宇宙には、たったの一つもないと私は考える。誤ったルールで維持されるものなど、ちょっと思いつかないのである。多分、そんなことをしても「盛者必衰の理(ことわり)」であって、あっという間に「力」を失うか、崩壊するのは目に見えている。この宇宙には「力」を分散させる方向には「エントロピーの法則」という強烈な「ルール」があるが、「力」を一つところに集中したまま維持し続ける「ルール」はないのである。どこかの誰かが「絶対に勝ち続けるルール」というものを見つけたというのであれば話は別だが。私たちの国の経営者は、そんなに頭の悪い人はいないだろうから、「安い労働力」を求めて先進国を渡り歩いても、決して長く続かないことは知っているであろうし、おそらくは自分たちが押し付けるルールが、相手が「貧困」であることを逆手にとった「歪んだルール」であることも知っているであろう。だが、誰もみな今の人間世界では、これは「いたしかたない」ことだと思っているはずである。「理性」の要請は、「力」の獲得のためにやむなく却下されているというわけだ。
 私としては、人間世界の全ての「現象」が「MB分布」のようになれば、それは決して「個人」の「幸福」を表してはいないが「全体」としては「幸福」を表していると思う。分布には「ばらつき」があるから、金持ちも権力者もいるし、貧しい人も権力とは無縁の人もいるであろう。だが、「平均的な人」が最も多くいることで、貧しい人にも対処できるし、「力」を持つ人の横暴にも対処できると考える。私たちの国の経済学者が言ってたが、「中流階級」や「中産階級」と呼ばれる人の数が多くて、その数の変動が小さく、どっしりとしている国というのは「安定」しているそうだ。それは多分、国民の所得が「MB分布」のようになっていることを言っているのであろう。だから、「国家」や「世界」で起こる「現象」の全てを「MB分布」の形になるように促すことは、私たちにとっては有益な方向性だと思う。

 最後に、科学者と技術者の仕事について、ちょっとだけお話をしておこう。主に科学に携わる人たちが何をしてきたか、または「科学」は何のためにあるべきか、ということである。右のグラフを見ていただきたい。赤い線の「MB分布」と青い線の「MB分布」が書いてあるだろう。グラフの形を変えずに、グラフそのものを右側へずらすこと、あるいは、グラフの左右の幅を小さくすること、これが科学に携わる人がやってきたことなのである。この宇宙では、何を作っても、何をしても、何が起こっても「現象」の「ばらつき」そのものを「ゼロ」にすることは原理的にできないから、ピンクの領域にあるものは、モノの生産ならば廃棄されるし、行為なら不都合な行為であるし、出来事ならば好ましくない出来事になってしまう。モノなら、検品の段階で取り除かれ、人なら警察のお世話になり、出来事ならば事故とか災害とかになるのである。だが、「ルール」そのものを改善したり、新しい「ルール」を作ったり、とても小さな領域のことにでも細かい「ルール」を設定したりすると、「ばらつき」はあるものの、ピンクの領域を占めるモノや出来事の数は少なくすることができる。その方法は様々あるだろうが、結果として、グラフがその形を変えずにそのまま右へずれても良いし、グラフのばらつきを表す左右の幅を小さくしても良い。「ルール」を変えることで、今言った方向に「現象」が進めば、世界は「良くなった」と言えるし、進化したとも言えるのである。世界で起こる現象のうち、モノに関すること、人に関することのうちの主に「医学」、自然現象に関することでこれをやっているのが、科学者であり、技術者なのである。つまり、彼らの仕事とは、グラフを右にほんのわずかでもずらすことで「好ましくない状況」というものの数を減らすことなのだ。そのことは、廃棄するものを減らすことでモノを大切にすることでもあるし、死者や重篤な人の数を減らすことで人を大切にすることにもなる。科学に携わる人がやっているのはそういうことなのである。「医学」が迷信や民間療法から「自然科学」を取り入れてからというもの、あっという間に、多くの病気のグラフは右へ大きくずれた。ほんの100年ほど前の「不治の病」の多くはそうでなくなったし、例え羅患しても、死者の数を減らし、重篤度を低くすることができるようになった。「医学」の恩恵のことだけを考えると、死に至る人が死ななくても良くなったし、重篤な人も軽度で済むようになったのだから、世界は「良くなった」と言えるのである。また、世界に住む人の平均寿命も長くなったのだから、「良い世界」になったことは確かだ。(他の問題は無視しての話だが。)「医学」に限らず、「科学」は確実にこのグラフを右へ右へとずらしたり、あるいはグラフの幅を小さくすることに多大な貢献を行っている。多くの種類のモノの生産におけるロス率は年々小さくなって、効率はずっと良くなった。使うエネルギーも資源も年々少ない量で、モノを作れるようになったし、だからといって、機能が損なわれるといったこともない。科学の恩恵を被るような商品について言えば、モノの値段は年々安くなっているようにも思う。昔は金持ちの家の「家宝」だったものが、今では、誰でもが買えるようになった。とにかく、私は、「科学」は「世界」を良くしていると思う。ただし、そんな「科学」も、全くのお手上げ状態で、全く良くできないものがある。それが「人」である。「人」を除けば、「世界」はずっと良くなった。残念ながら、人はソクラテス先生の時代から、何ら良くなってはいない。後は、人を良くすることだけなのだが、宗教も神秘主義も全く成果を上げていないから、一体誰が人を良くするのであろうか? できるだけ早く多くの人に「力」の獲得に明け暮れるのをやめて「ルールを尊重」するようになってもらわないことには、お互いに傷つけあうことがすっと続いて、そのせいでお互いに大きな「不幸」を被ることになると思うのだが。
 
 
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