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   T 信仰と宗教について  
     
   6. 「より良き世界」を求めて  
    私は、次章で「大言壮語」をするつもりでいる。だがその前に、「理性」に従い生きてきて、「理性」に導かれて知ったことはおそらくは「仏教」の知識を遥かに超え出ていてゴーダマをも凌ぐと思うが、そんなことを誇りに思っているわけではない、と言うことをここではっきりとさせておかなければならない。私が「良き人間」になって、私の死の直前に「より良き人間」となって死にたいと思うことは前に述べた。だが、人より偉くなりたいとも、人より秀でたいとも、ましてや富や名声を手に入れたいとも私は全く思っていないのである。私が望むことはただ一つだけだ。それは「より良き世界」を構築することに貢献したいだけであって、それ以外に私が求めるものはない。とは言え、そんなご奇特な方がこの世界におられるか、と訝しく思われる人も多いであろう。それゆえ、私のこれまでの経験について少しだけ語って、私の本音を理解して欲しいのである。
 私は昭和の30年代半ばの生まれである。そこここにまだ舗装されていない道が残り、雨が降ればどろどろの水溜りがある、そんな時代に生まれた。とは言え、それでも我が国第二の都市に生まれたのである。今はHという市長さんが「維新の会」というのを立ち上げて全国的に話題になっている都市である。そんな所に生まれた私だが、小学生の時に一度、中学生の時に一度号泣したことがあった。一回目は駅前にある本屋で「ビアフラ」というタイトルの写真集を手にとって、その中を見た時である。そこには、痩せ細ってはいるがお腹だけは妙に膨れた子供たちが写っていた。私は、思わず泣いてしまった。何故だかわからないが涙がこみ上げて来て止まらなかった。私の脳裏にはその写真に写っていた子供達が今も深く焼きついている。私は、その当時、この子供たちは病に冒されていると思っていた。この子供たちが飢餓に苦しみ、食べるものがなくてああいう姿になっていること、そしてビアフラとは病名ではなく国家の名前であることを知ったのは随分と大人になってからだ。
 次に私が涙を流したのは、「ヘレン・ケラー財団 平和寮」の中に暮らす子供たちを見た時だ。この建物は私が通う中学校に隣接する有名私学高校の、大きな道を挟んだ向かい側にあって、友達の家に遊びに行く時には、いつもこの建物の前を通っていた。ふと正門である鉄格子の中を覗くと、たくさんの子供たちが中庭にいたのであるが、みんな私とは全然違う。ある子供は、体中に鉄でできたと思われるギブスのようなもので体を固定されている。またある子供はベッドの上に横たわって、体中から「管」が出ていて、自分で呼吸しているのかどうかもわからないようであった。私は、また涙が止まらなかった。中学生となった私と、同じような年頃の子供たちもいたが、みんな普通ではなかった。彼らは確かに自分とは違う、自分が背負わなくて良かったと思えるものをみんな背負って生きなくてはならない子供たちなんだと、私は思った。いたたまれなかった。本当にいたたまれなかった。
 でも、それから先、そう、27歳あたりまでは、私はそのことをすっかり忘れて生きていた。でも、どこかにやはり残っていたのであろうか、私は自分の人生をこれ以上幸福にすることをやめてしまったのである。27歳の時に私はきっぱりと決心した。もう、これ以上自分が幸福になる事の一切について、努力することをやめて、後は自分以外の人を幸福にすることだけを考えて生きてゆこうと決心したのである。そして、それから暫くして、私には数々の神秘体験が訪れた。突然、物理学を勉強しだしたり、またその途中で「私は何も知らない」と言うことを痛烈に教えられる体験をしたり、本屋へ行けば読まなくてはならない本の背表紙が光っていたり、私の頭の中にアインシュタイン博士とお釈迦さまとカント先生が住み着いて、批判と助言を繰り返したりと、奇妙な毎日が続いたのである。その甲斐あって、私の理性はこの方々のおかげでたいそう鍛え上げられた。そして、私は実に多くのことを知ることができた。そして、私自身はもう死んでも構わないと思える程に、大切なことをたくさん知ったのである。何より、私はこの宇宙の全てのものと仲良くやってゆく方法を知ることができた。だから、私は何ものをも傷つけないで生きてゆけるのである。こんなにうれしい、こんなに喜ばしいことはない。この宇宙にある全てのものを傷つけないで生きてゆく方法を見出したのだから、本当にこんなにうれしいことはないのである。ただし、「人」は除く、である。この宇宙で、私がたった一つうまくやってゆけないもの、それが「人」なのだ。人として生まれた私が、全ての宇宙の存在とはうまくやっていける方法を身につけたというのに、「人」だけが私はうまくやってゆけないのである。でも、それは私が悪いからではない。理由ははっきりとわかっている。私が知る限り、人だけが、この宇宙の中でたった一種「ルール」を尊重しない「存在」だからである。「法治フィールド」であるこの宇宙で、「ルール」を尊重しないたった一つの生き物、それが人である。

 さて、「理性」を信じ「理性」を鍛え上げてきた私は、「より良き世界」を構築するために貢献したいと思う。私の理性はとっくの昔に、私の才能は「ギフト」と呼ばれてそれは神様からの贈りものであり、世界のために使うべきものだという制限を私に課しているため、私はそれ以来一度も私の才能を自分のために使ったことがない。だから、私は自分の持つ全ての才能を家族のためにさえ使わず、国家のためにさえ使わず、「世界」のためにだけ使用する。そして「より良き世界」を作ることを私に託し、私を導いてくれた多くの先達たちのご恩に報いるためにも、まず第一に私がしなくてはならないことは、是が非でも「人」には「ルールを尊重する」ようになってもらわなくてはならないのである。「権力」や「財力」など、力を求める生き方から脱却して、そのようなものを求めるのに「理性」を使用するのではなく、「理性」本来の使い方である「妥当なルール」を求めること、「妥当なルール」を構築すること、何より「ルールそのものを尊重する人間」になってもらわねばならないのである。
 さて、私がもし「より良き世界」を作ることに少しでも貢献できれば、ビアフラの子供達、不幸を背負って生まれてきた子供たちに少しは顔向けができるというものだ。私が、多くの先達から授かった智慧を使って頑張ってみるから、子供達よ、どうぞ私を見守っておくれ。貧しいことぐらいで死なないような世界に少しでも近づけるから、誰でもが、平和に安心して暮らせるような世界になるよう頑張ってみるから。
 
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